Ko of Wa
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Book of Song | Book of Liang | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Genealogy of Emperors in Nihon Shoki
(Numbers in parentheses are Japanese epithets) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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興(こう)または倭 興(わ こう、生没年不詳)は、5世紀中頃(古墳時代中期)の倭王[1]。「倭王興」とも[1]。
済の子・武の兄で、「倭の五王」の1人。第20代安康天皇に比定する説や、市辺押磐皇子 [2]、木梨軽皇子[3]に比定する説があり確定していない。
記録[edit]
宋書[edit]
- 『宋書』列伝
- 夷蛮伝 倭国の条(宋書倭国伝)では、父の済の死後に世子の興は宋に遣使貢献をしたとする[4][5]。
- また大明6年(462年)には、孝武帝は興を「安東将軍 倭国王」に任じるよう詔した。その後、興が死んで弟の武が王に立ったとする。[4][5]。
- 倭王武の上表文には、済と興が高句麗を討とうとしたが、その直前に亡くなったと記されている[lower-alpha 1]。
- 『宋書』本紀
- 孝武帝紀 大明4年(460年)12月丁未条では、倭国が遣使して方物を献上したとする(済または興の遣使か)。
- また孝武帝紀 大明6年(462年)3月壬寅条では、倭国王の世子の興を「安東将軍」となしたとする。
- さらに順帝紀 昇明元年(477年)11月己酉条では、倭国が遣使して方物(地方名産物)を献上したとする(興または武の遣使か)。
梁書[edit]
南史[edit]
『南史』夷貊伝 倭国の条(南史倭国伝)では、『宋書』列伝の内容が記述されている。
Year | Goguryeo | Baekje | Wa |
---|---|---|---|
317 | Eastern Jin | ||
372 | Geunchogo of Baekje | ||
386 | Jinsa of Baekje | ||
413 | Jangsu of Goguryeo | ||
416 | Jangsu of Goguryeo | Jeonji of Baekje | |
420 | Liu Song dynasty | ||
Jeonji of Baekje | |||
421 | San of Wa | ||
438 | Chin of Wa | ||
443 | Sei of Wa | ||
451 | Sei of Wa | ||
457 | Gaero of Baekje | ||
462 | Ko of Wa | ||
463 | Jangsu of Goguryeo | ||
478 | Bu of Wa | ||
479 | Southern Qi | ||
Bu of Wa | |||
480 | Jangsu of Goguryeo | Moudu (牟都) | |
490 | Dongseong of Baekje | ||
494 | Munjamyeong of Goguryeo | ||
502 | Liang dynasty | ||
Munjamyeong of Goguryeo | Dongseong of Baekje | Bu of Wa |
考証[edit]
- 460年記事について
- 『宋書』孝武帝紀の大明4年(460年)記事では、倭国の遣使を伝えるが、遣使主体の名前を明らかとしない。これに関して、①済とする説(新王の遣使ならば冊封を受けるのが通例)[8][9]、②興とする説(『宋書』倭国伝の興の遣使記事と対応)、③済でも興でもない名前の漏れた倭王とする説がある。
- 477年記事について
- 『宋書』順帝紀の昇明元年(477年)記事では、倭国の遣使を伝えるが、遣使主体の名前を明らかとしない。これも武とするのが通説[4]だが、興とする説(新王の遣使ならば冊封を受けるのが通例)[8][9]や興でも武でもない名前の漏れた倭王とする説もある。
- 「世子」について
- 『宋書』では興は「倭王世子」と見え、これは済との続柄を示すものと解するのが通説であるが、462年の段階で王位に就いていなかったことを示すのではないかと見て当時の王位継承の不安定さを指摘する説[10]もある。
- 天皇系譜への比定
- 『日本書紀』・『古事記』の天皇系譜への比定としては、興を安康天皇(第20代)とする説が有力視されるが[1][11]、一方で木梨軽皇子や市辺押磐皇子に比定する説もある[11]。
- 安康天皇に比定する説は、「武 = 雄略天皇」が有力視されることから、武以前の系譜と天皇系譜とを比較することに基づく[12][13]。記紀では允恭天皇・安康天皇が相次いで死去する伝承が記されており、武の上表文に「奄喪父兄(にわかに父兄を失う)」と見える記述はこれとも対応する[12]。ただし記紀に遣使の記述はなく、興の遣使年次も『日本書紀』『古事記』の安康天皇の年次と合致するものではない[12]。ただし系譜以外の論証が確かでないことから、音韻・系譜の使い分けによる恣意的な比定を批判する説もある[14]。なお木梨軽皇子に比定する説は、有力継承者であった木梨軽皇子と、『宋書』の「世子」とのみある表現が合致することによる[1]。
- 墓の比定Hase Nisanzai Tomb
- 倭の五王の活動時期において、大王墓は百舌鳥古墳群・古市古墳群(大阪府堺市・羽曳野市・藤井寺市)で営造されているため、興の墓もそのいずれかの古墳と推測される[15]。これらの古墳は現在では宮内庁により陵墓に治定されているため、考古資料に乏しく年代を詳らかにしないが、一説に興の墓は土師ニサンザイ古墳(現在の東百舌鳥陵墓参考地)に比定される[13]。
脚注[edit]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 倭王興(日本人名大辞典).
- ↑ 『漢籍倭人考』(所収『史学雑誌』)菅政友著、明治25年(1892年)によるものが初出。
- ↑ 『日本古代史』 久米邦武著、明治40年 (1907年)によるものが初出。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 Cite error: Invalid
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- ↑ 5.0 5.1 Cite error: Invalid
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- ↑ 『東アジア民族史 1 正史東夷伝(東洋文庫264)』 平凡社、1974年、pp. 315-319。
- ↑ Mori, Kimiyuki; 森公章 (2010). Wa no Goō : 5-seiki no Higashi Ajia to Waō gunzō (1-han ed.). Tōkyō: Yamakawa Shuppansha. ISBN 978-4-634-54802-2. OCLC 609537044. Search this book on
- ↑ 8.0 8.1 倭の五王(国史).
- ↑ 9.0 9.1 倭の五王(日本大百科全書).
- ↑ 河内春人 2018, pp. 73-119.
- ↑ 11.0 11.1 興(古代氏族) 2010.
- ↑ 12.0 12.1 12.2 森公章 2010, pp. 25-46.
- ↑ 13.0 13.1 足立倫行 「「倭の五王」をめぐる論点」『ここまでわかった! 「古代」謎の4世紀(新人物文庫315)』 『歴史読本』編集部編、KADOKAWA、2014年、pp. 48-61。
- ↑ 河内春人 2018, pp. 163-206.
- ↑ 「ワ」の物語(百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議「百舌鳥・古市古墳群」)
- ↑ 句驪無道圖欲見呑掠抄邊隷虔劉不已毎致稽滯以失良風雖曰進路或通或不臣亡考濟實忿寇讎壅塞天路控弦百萬義聲感激方欲大舉奄喪父兄
参考文献[edit]
- 事典類
- "倭王興". 日本人名大辞典 (in 日本語). 講談社. Search this book on
- 坂元義種. "倭の五王". 国史大辞典 (in 日本語). 吉川弘文館. Search this book on
- 日本大百科全書(ニッポニカ) (in 日本語). 小学館. Search this book on
- {{{reference}}}、{{{reference}}}。
- 坂元義種 (2006). "倭の五王". 日本古代史大辞典 (in 日本語). 大lang=ja房. ISBN 978-4479840657. Search this book on
- "興". 日本古代氏族人名辞典 普及版 (in 日本語). 吉川弘文館. 2010. ISBN 978-4642014588. Search this book on
- 関和彦. "倭王興". 朝日日本歴史人物事典 (in 日本語). 朝日新聞出版. Search this book on - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
- その他文献
- 森公章 (2010). 倭の五王 5世紀の東アジアと倭王群像(日本史リブレット 人 002) (in 日本語). 山川出版社. ISBN 978-4634548022. Search this book on
- 河内春人 (2018). 倭の五王 -王位継承と五世紀の東アジア-(中公新書2470) (in 日本語). 中央公論新社. ISBN 978-4121024701. Search this book on
関連項目[edit]
外部リンク[edit]
- 漢籍電子文献資料庫 - 台湾中央研究院
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